ブラック企業で働くボロ雑巾だった僕が脱サラして1年でテレビ出演するアーティストになった話1


人生は2通りしかない。

刺激が少ない安全な道か、刺激が多い冒険的な道か。

 

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※日本テレビ【世界まる見え!テレビ特捜部】3時間生放送番組にて、2メートルの巨大スプレーアート作品を制作。所ジョージさんとビートたけしさんも加筆

 

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 ※日本テレビ【スッキリ!!】「スゴ技!にっぽんの芸術家」コーナーにて、純和風・クリスマス・年賀状をテーマにした3作品を制作

 

カネなし、コネなし、才能なしのスーパー凡人

 

 「スプレーアート!? あー知ってる!」

 「めっちゃ速く絵を描くアートだよね!」

 今でこそ、「スプレーアート」という絵画技法が認知されてきましたが、全国放送のテレビに出演するアーティストになるまでの僕は、お金も人脈も才能もない、ごく普通の一般人、いや、スーパー凡人でした。

 三流の私立高校、コミュニケーション能力の低い僕が就職した時からアーティストとしてテレビ出演するまでのストーリーです。

 

最悪の上司とラットレース

 

 無事、大学を卒業して晴れて新米サラリーマンとなりました。

 入社した会社は、銀座の一等地にあるITベンチャー企業です。

 この会社の社長は高級外車をコロコロ変えて、当時はアルファロメオを乗り回していました。

 22才の僕は、高利益を叩き出す社員100人の会社の正社員になったのです。

 入社早々、新人研修に参加するために福島の田舎へバスで向かいました。

 事前にマラソンをするということは聞いていましたが、楽しく同期と切磋琢磨できるのだろうと僕も含め皆も軽く考えていました。

 

 しかし、新人研修のプログラムは

「断食」

「トンカツとカレーどちらが美味いか議論会」

「山頂40キロマラソン」

「朝4時起き山手線暗唱テスト」

「飛び込み営業で名刺集め」

といった、修行のような研修内容でした。

 

 僕ら同期は営業が専門ではないのですが、この研修を合同でやった会社が保険の営業が専門でした。

 ということで、「飛び込み営業」が福島に着いて早々にスタートしたのです。

 ひたすら知りもしない会社やお店に入っていき、名刺交換をして枚数を競う研修でした。  これは慣れれば楽しくなるのでまだ余裕がありました。

 しかし、その次の「40キロマラソン」は肉体的にも精神的にも厳しいものでした。

 山頂にある宿泊コテージからスパリゾート・ハワイアンズまで走っていき一旦、温水プールに入って休み、そこからさらにコテージまで登り走って行きます。

 温泉入浴直後のマラソンはここまで体が重いとは思いませんでしたが雨の中、全員汗だくになって走りきりました。

 この新人研修は5人1組の3グループに分けられ、1つの項目の順位で 食事のレベルが決まるというゲームのようなシステムでした。

 1位のグループが社長と一緒にイタリアンの店で食事できます。

 2位のグループがコテージで自炊します。

 最下位である3位のグループがなんと食事なしでした。

 断食の日とかぶって3位になった女子5人は地獄だったと思います。

 「トンカツとカレーどちらが美味いか議論会」は断食の日にやったので、 何でもいいからご飯を食べたくなりました。

 そして、あまりにも腹が空き過ぎて意識が朦朧としてくるのです。

 思考停止状態になっても議論の時間が終わるまで考えて発言しなければならない時間は、非常に苦痛に感じていました。

 

 「朝4時起き山手線暗唱テスト」は眠気眼をこすりながら、東京駅から時計回りに各駅を暗記して、山の頂上から叫ぶというものです。

 

「とうきょう~、ゆうらくちょう~、しんばし~、はままつちょう~」

 

 大声を出すほど暗記した駅名が消えてしまいそうになります。

 しかも、連続で5人全員暗唱できなければ、また1人目から叫ばなければいけないというルールがありました。チーム力の向上が目的なのでしょうか。

 「山頂の中心で駅名を叫ぶ」、新卒社員は逃げも隠れもできない隔離された場所で、与えられたプログラムをこなしていくしかありませんでした。

 「セカチュー」ではなく「サンチュー」が、他の企業で行われているのかは定かではありません。

 これらメンタルの鍛錬を目的とした新人研修中に、実際に倒れて寝込む人もいました。社長はなんとも思わないのか特に気にかけません。

 僕たちは断食中で何も食べられない時、隣でカップラーメンとチョコレートを普通に食べている社長は楽しそうに僕らを観察していた。

 やっとのことで地獄の三泊四日の新人研修は終わり、本社へ戻ることになりました。

 僕が配属された仕事場は、誰でも知っているメガバンクのサーバー構築の設計書作成の部署でした。 いわゆる銀行のATMの暗証番号や情報処理など見えない部分を構築していく仕事です。

 「メガバンク」「IT」「日本橋支店」なんてキーワードだけではエリートのような感じだと思われがちですが、内部は至って泥臭い作業ばかりです。

 当然、新米の僕はコピー取りから雑用もやるようになりました。  そこで僕の直属の上司になったMさんは、40代前半の体育会系で人にまったく好かれないタイプの人でした。

 会社側は、僕のメンタルの強さからMさんの下に配属したと後から知ったのですが、ものすごく理不尽かつ人間として尊敬できない人だったので毎日が修行のようでした。

 

ノイローゼになる、いや、「うつ病」か。

>パート2「ブラック企業で働くボロ雑巾だった僕が脱サラして1年でテレビ出演するアーティストになった話2」につづく……

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